写真は15年ほど前の某住宅作品。ダイニングテーブルは、150年程前の古民家の梁材の黒松を挽いてもらって造ったものです。仕上げは、化学塗料ではなく「荏油(←ひらたく言えば胡麻油))+ベンガラで淡く染色」で拭き取り仕上げとしています。少々荒っぽい表情ではありますが、それはそれで味わいってものがあるダイニングテーブルに仕上がりました。私には、懐かしい作品写真、でした。
今日も、午後から豊田市方面でお客様打ち合わせ。
いつも思うのですが・・・お客様のご要望のコトもうまくおさまった、デザインも構造も機能性もバッチリ、などと思っていても・・・そこに、また新たにお客様からさらなるご要望、、う〜ん予算も一杯一杯だし、それやるとデザインもクシャクシャになるし、、、なんてコト思ったりもします・・・ところが、そこから思い改めること二〜三日、必死こいてない知恵振り絞れば→あらっ、できた!なんてことに、しかも以前のプランやデザインよりも、結果的に良くなっていたりして・・・そんな時には、改めてお客様に感謝するやら、自分達の力量のなさを思い知る気持ちになったり・・・いろいろ思い知らされる毎日です。
写真は、某歯科クリニックの待合〜中庭です。
「お前ら、明日から全員坊主!」ってなことは、さすがに言ったことはない。
でも・・・10年程前だったか、新卒で入ってきた新人君に、夏ごろだったか、それまでに何度も教えてきたことができていなくて、キツク説教したことがあった。彼は、その場で涙した。そして、週明けの月曜日・・・「五分刈り頭」で出勤してきた「一生懸命頑張ります」という言葉とともに・・・。
なんて、ことがあったなぁ。
ウチの事務所はスタッフ2〜3人程度のアトリエ。いわば「徒弟関係、でえぇくの熊さん、八っつあん」に近い職人修業スタイル。まさしく「同じ釜のメシ喰う」人間関係。スタッフには設計の技術以外に、対外的な心構え、設計者としてあるべき信条、などなど、日々折々の機会に散々仕込んでいる(自分自身にも言い聞かせている)、つもり。BOSSとしても、きてくれているスタッフには皆、ちゃんとした「技術・心構え」身につけて、立派に「自分の店」構えて独立して欲しいと、願っている。
自分もこれまでの仕事の経験(30年)で、数々の「痛い教訓」を得てきた。それらの痛い教訓は、その都度自分の肥やしとなり、その都度技術力を培ってきたつもり。人間悲しいかな、「痛い教訓」こそが最大の「教師」であったりする。「痛い教訓」のない仕事振り(保身的な仕事振り)では、大きく成長できないとも思う。ウチのスタッフには、そんなこともよく話す。ただ、これからの将来、BOSSと同じ「痛い教訓」を経験していては駄目だ。それは、すでに「知り得た知識」として欲しい。必要なことは、精一杯の尽力の上での経験であり、その上での新たな「痛い教訓」を積んでくれることだと思っている。
設計っていう作業は、まるで五元連立方程式を解いていくようなモンです。
・安全な建物構造にする方程式
・居住環境=快適性を高める方程式
・少しでも使いやすくするための方程式
・より美しくするための方程式
・ムダなコストカットのための方程式
これらの方程式を、クライアントさんの御要望を叶えつつ同時に解くのが「設計」なんです。全ての方程式に「完璧な答」を満たすのは至難のワザ。世の中「完璧な答」っていうのはあり得ない、、、。設計の過程では、それぞれの方程式が密接に相克していて、アッチたてりゃあコッチたたず、ならばエイヤァでこうやればどうだぁ?・・・あら、デキタ!?一歩進んで二歩下り→三歩進めた!ってことの繰り返し。
設計屋が悪戦苦闘する中、方程式の優先順位や重みの配分をクライアントさんと相談しながら、共同でより理想的な解答を導き出していくモンです。
その過程では、クライアントさんにとっても設計者である我々にとっても「妥協」が必要な場合があるのも現実です。
一方、優先順位や重みの配分を間違えたり、充分な追求をしないまま妥協に走ってしまったら・・・・クライントさんの理解が得られないのも世の常なのです。
そんなこんなで・・・スタッフのitoによる、新規Prijectです。郊外に建つ二世帯住宅です
